現代でも十分面白い徒然草
誰でも徒然草の事を聞いたことはあると思うんですが、誰がいつ頃書いたのかを歴史で覚えたり、古文の授業でちょっと触った程度でほとんどの人が実はよく知らないといったものでしょう。
かく言う僕も、序文しか知らないし、作者や書かれた時代もかなりふわふわした記憶しかありませんでした。(だいたい鴨長明の方丈記や紀貫之の土佐日記と混ざる)
しかし、この前ブックオフで「すらすら読める徒然草」という本を10円で買ってみたところ少し読んだだけで普通に面白かったので、感想を徒然なるままに書いていこうと思います。
なお僕は別に古典を授業でちょっとやっただけの専門家でも何でもないただの一般人ですし、文章から読み取れないようなことでも勝手に解釈していくので正確に徒然草を読みたい人は帰ってどうぞ。
とりあえず今回は、徒然草自体と徒然草の作者の吉田兼好の解説、序文と世俗譚から気になった話をピックアップします。
ちなみにブックオフで10円で本を買う方法はこちら
徒然草とは
毎度おなじみWikipediaにはこんな感じの説明がされています。
『徒然草』(つれづれぐさ)は、吉田兼好(兼好法師、兼好、卜部兼好)が書いたとされる随筆。清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』とならび日本三大随筆の一つと評価されている。
徒然草 – Wikipedia
吉田兼好という鎌倉時代末期の元役人が書いた随筆ですね。別名に兼好法師とかがありますが、これは出家をしていたからだそうです。(この記事では吉田兼好で統一します)
随筆という文学形式は、エッセーと同じと言われることも多いですが、要するに体験や経験から感想や思想をまとめて文字に起こしたものになります。(最近だと漫画とかもあるけど)
要するに雑記ブログみたいなもんですね。だから僕のブログも随筆かもしれないです。
まあこのブログは歴史や古典のお勉強をするようなものじゃないので、だいたいそれくらいの認識でいて良いと思います。
これらの事をまとめると、徒然草は「吉田兼好」という元役人のお坊さんが見聞きしたものをなんとなくまとめた「随筆」という文学と言えます。
吉田兼好とFIRE
前の章でサクッと吉田兼好の経歴に鎌倉時代の元役人でお坊さんと書きましたが、FIRE界隈では吉田兼好は結構な有名人だったりします。
というのも、徒然草は吉田兼好が役人という地位をポイして、その後の生活から思うことをなんとなく書いた文学で、要するに鎌倉時代のFIREブログみたいな作品なんです。(まだちゃんと読んでないけどそういったレビューが多い)
そもそも昔のお釈迦様の仏教(儒教とかが混じってない日本式の仏教とは別の仏教)はFIRE的な考えが非常に強く、俗世から離れて俗世の煩悩を消すというのが基本的な考えになります。(吉田兼好がどんな仏教を信仰していたのか知らないけど)
まあ僕の仏教哲学の知識は花園大学の佐々木閑先生からしか仕入れてないと言っても過言ではないですが…
仏教×FIREをちゃんと実行した日本の歴史に残っている文学が「徒然草」で、それが読みやすい形で現代でも読めるのであれば、歴史でも古文でもなくFIREの教科書として読んでみるのもありな気がしませんか?
ちなみに僕はブックオフで10円だったので中野幸次さんの本を購入しましたが、現代語訳付きの徒然草を全段公開しているサイトもあるようです。
僕が買ったやつは、筆者が面白いと思ったものの抜粋と詳しい解説がついているので一長一短ですが、まずは無料で読みたいと思った人は以下のリンクからどうぞ。(知らねー人のサイトです)
別の人だと思いますが、朗読もYoutubeにあがっているようです。
序段
つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
徒然草 序 (tsurezuregusa.com)
なんもやることない日に1日中、心に浮かんだことをなんか書こうとしてたら何とも言えずハイで変な気分になった。
(僕はハイな感じはパリピ的なことじゃなくてサウナの整うみたいな感じで解釈してます)
もはやここしか知らないし、ここなら暗記しているレベルの序段です。
は?って感じじゃないですか?
だからどうした?みたいな感じになりますが、これが随筆「徒然草」です。
とは言え、なんてことのない平和な1日を鎌倉時代の人も過ごしてたんだなあとか、こんな生活したいなあとか思える何とも趣深い良い段に見えます。
俗世から離れて1日中、心の向くままに自分に向き合ったりするのは結構理想的なFIRE生活じゃないでしょうか?
そう考えると、この序段は非常に徒然草らしいように感じます。
俗世譚
ここからは中野孝次氏が抜粋した俗世譚の中でさらに僕が気になったものをピックアップします。
なお、見出しのタイトルは中野孝次氏の本から引用、本文は上記で紹介したサイトの物を引用しておきます。
丹波に出雲といふ所あり 第二百三十六段
丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後ろさまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
徒然草 第二百三十六段 (tsurezuregusa.com)
丹波にある神社の狛犬は普通の狛犬とは反対の向きを向いていた。それを見た聖海上人(従者をたくさん連れたお坊さん)は「素晴らしい」と絶賛して涙を流し、従者たちに「これを見て感動しないのはおかしいよな?な?」的なことを言った。
従者たちも聖海上人にそこまで言われると「これは土産話にしましょう」的なことを言って話を合わせた。
そこに神主が来たので、なぜ狛犬が反対向きになっているのか?と尋ねてみると「クソガキどもがイタズラで向きを変えるんだよ」と言って狛犬の向きを元に戻してしまった。
これ普通にめちゃくちゃ面白くないですか?
なんか偉そうにしてる知識のない人が、よくわからないものを適当に褒めて、それが何の意味もないことが発覚する。
鎌倉時代も21世紀でも面白いと感じることはあまり変わらないのかもしれませんね。
オチ自体気持ちよくてスカッとするし、話を合わせて適当に話を合わせた後に神主から一緒に真実を聞いた従者たちとの今後のことを考えると何とも言えない面白さが出てきます。
因幡国に、何の入道かやいふ者 第四十段
因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりれば、「かゝる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
徒然草 第四十段 (tsurezuregusa.com)
これは短いので全文引用させてもらいました。
因幡の国にいる何とかって人の娘がめっちゃ美人らしいと評判でいろんな人が結婚を申し込んだが、栗ばっか食ってて米食わない変な娘なんか嫁にやれないよと親が許してくれなかった。
僕は読んでいて「えっそんだけ?」と言っちゃいました。
ところで入道って坊さんの事だと思うんですけど、なんで美人の娘がいるんですかね?
まあそれは置いておいて、他人の娘が嫁にいけない理由をただ書いておくなんてこれも何とも随筆らしい気がします。
米よりも栗の方が栄養が良かったりするから美人なのかなと思ったんですが、鎌倉時代だと米は玄米だろうし栄養は米でも十分そうな気がするんですよね。
あと、当時は栗なんて秋しか食えない気がするんですけど、それ以外の季節はどうしてたんですかね?
なんか短いながらにも気になるところもありつつ、でもそんだけだしなあと言ったところでなんか頭に残る段でした。
人の田を論ずる者 第二百九段
人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。
理、いとをかしかりけり。
徒然草 第二百九段 (tsurezuregusa.com)
これもまあまあ短いので引用させてもらってます。
他人の田んぼの所有権を主張して裁判に負けた腹いせに、人を使ってその田んぼを刈に行かせた。命令を受けた人はその田んぼだけでなく道中にある田んぼも一緒に刈っていった。
それをみて「ちょいちょいちょい、それは命令してないって何してんの?」的なことを言ったら「あの田んぼだって刈っていいわけないんだから、いっそのこと全部行ったれってことで」的なことを言った。
これまた普通に面白い話ですね。
意味不明な命令をうまいこと解釈して言い訳してるのが何とも好きですね。
これは僕の性格なのかもしれないですが、こういった感じの抜け道を見つけて「こういう風に言われたんでこうしました」的なことが大好きなんです。
最後のまとめ
今回は「【偉大なる無職】徒然草を読むパート1」というタイトルで、徒然草のざっくりした解説と気になった段を少し紹介しました。
徒然草は「吉田兼好」という元役人のお坊さんが見聞きしたものをなんとなくまとめた「随筆」という文学です。
この吉田兼好は元役人で出家をして俗世から離れて暮らしていたという今でいうFIRE的なことをした人です。
仏教自体にFIREと近い考えがあるので、読みやすい形式で現代でも読めるのであれば、歴史でも古文でもなくFIREの教科書として読んでみるのもありな気がしませんか?
今回は以下の4段をピックアップしました。
個人的な解説や解釈もつけているので、ぜひ本文を読んだ後に読んでみてください。
しかし、想像していたよりもだいぶ堅苦しくないし面白さがちゃんとわかる文章が700円くらい前に書かれていて現代でも読めるなんてすごいですね。
とりあえずまだまだ読んでいる途中なので、これから読み進めて紹介したい段があればまた記事にします。
タイトルにナンバリングも入れましたからね。
こんな記事も書いています。
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