数は3までしかない
何を頭のおかしいことを言ってるんだと思ったかもしれませんが、本来言葉においては数字は1,2,3しかありません。
数学を持たない生物は0も負の数も分数も小数も複素数もないどころか4以上の数すらありません。
これは1,2,3の次は「たくさん」で4以上の数字は数字を扱う学問から引っ張ってきて言語が拡張されているということです。
要するに1,2,3以外の数字は数学という分野の専門用語なんですね。
1,2,3はなぜ国語なのか?
1,2,3が国語である理由は、国語において一人称、二人称、三人称の区別があるからという理由になります。
つまり「私」「あなた」「あの人」が1,2,3に対応していて必ずどんな文明にも存在します。
これは様々な実験が行われていて、狩猟採集民族・赤子に対して行われた実験では1~3までの数字はほぼ間違えずに認識していること、4以降の数字になると実験での正答率が低くなることがわかっています。
また、日本で初めてフィールズ賞を受賞した小平邦彦氏には、生まれた子犬全部を全部隠すと親犬が大騒ぎすること、3匹隠して2匹だけ隠すと安心しているとしていることから「犬には数量の観念がない」ことを小学5年生の時に発見したという話が残っています。
算数(数学)以外もどう考えてもできる人なんだけど…
まあこれらの話がどの程度本当なのかはわかりませんが、動物は生まれながらにしてその環境で1,2,3の数字の概念は理解しているが、それ以外(以上)の数字に関しては理解できていないと見ることができるでしょう。
そしてこれをかみ砕いて言うと、どんな文明であっても生きているだけで理解できる常識の中にある数字は1,2,3のみであって、それ以外の数字は他の学問で使うと役に立つ共通言語(専門用語)由来だと言えるわけです。
国語が貧弱だとほかの学問も貧弱
上では1,2,3以外の数字は専門用語だという説明をしました。
しかし、日本語ではこれらを専門用語だと認識せずに使用していますよね?
これがなぜかと言うと日本語は非常に優秀な高級言語で、日本語自体がかなり多くの専門用語を含んだ言語で、日<=>英のような他の高級言語と対応がかなり多くあるからになります。
もちろん全部の言葉が他の言葉と対応しているわけではありませんが、かなりの多くの言葉が対応していることで母国語を中心に思考するということができるようになっています。
例えば、5+4=9ですが、4より大きい数字の概念を母国語に持たない人は当然これらの数字の概念がないので、5+4=9の計算ができません。
つまり、5も4も9も母国語で思考することができないので、新しく覚えた専門用語を使って計算することになります。
が、専門用語を使うには専門用語を学ばないといけないので、算数のために英語の勉強をするみたいな手間が発生しますし、思考するときには母国語にはない概念を中心に考えなきゃいけないので、理解も表現も難しくなります。
例えば数学の授業は英語で行います。みたいな場合に日本語で授業をしている他のクラスよりも圧倒的に理解度が落ちることは言うまでもないでしょう。
母国語の表現力をほかの言語では超えられない
よほどやべー頭の持ち主でない限り、他の国の言葉を話していても頭の中は母国語で思考しています。
要するにたいていの日本人は、英語を話すときは、英語を聞いて、日本語で考えて、英語で話す。というプロセスです。(日本語で考えるのプロセスを英語にできるようになるとネイティブレベルで話せるようになるみたいなことを言ってる人もいますが…そんなんたかが教育でできるわけないしそれで話せるのって薄っぺらい会話だけでしょ)
思考の部分が母国語である以上、思考や表現の上限は母国語の能力に引っ張られます。
であれば、最終的なアウトプットの質をどうやって上げるか?は英語力を上げるの他に日本語力を上げるというものもあります。
昨今、英語力重視、日本語力軽視で思考力が貧弱になってきていますが、本当に英語の勉強を頑張るのが正解なんですかね?
ましてや、日本の英語教育は英語話者の人から見ても役に立たないクソみたいなところに注目して指導をしていて、中高大と勉強し続けても話せる人はほんの一握りというカスみたいな出来です。
日本語という超有能で他国では取得難度最難関の言語を難なく操る民族としては、もっと日本語教育をはじめまともな教育をした方が良いと思うんですよね…
もちろん英語をやらなくていいなんて言うつもりは微塵もないですが、国語力と思考力のない言葉に意味があるとは到底思えないので、この流れはどうにか変わっていってほしいものです。
まあ教育の段階をとっくに終えたどころか、会社員という立場すらもうそろそろ終えようとしている自分が言うことじゃないかもしれませんが…
最後のまとめ
今回は「【日本語】母国語で高等教育ができるということ」というタイトルで言葉においては数字は1,2,3しかないこととそれ以外の数字をちゃんと扱える日本語について解説しました。
なんかふわっとした短い記事になったのでまとめに入って良いのかわかりませんが、たまにはこんなのも良いでしょう。
言葉において1,2,3は自然に生きていく上で理解できる数字です。
逆に言うとそれ以外の数字はすべて国語ではない分野から持ってきた専門用語ということになります。
1,2,3はどんな世界であっても「私」「あなた」「あの人」という〇人称があるため動物であれば生まれながらに理解できています。
1,2,3以外の数字はすべて専門用語なんですが、これを専門用語として認識していない理由は日本語の中にこの専門用語が含まれているからとなります。
専門用語を知らない人が専門用語を使った思考をするには、まず専門用語がある言語を学ばないといけないので勉強のための勉強をするといった回り道をすることになってしまいますし、考える時も表現するときも母国語が使えないのでめちゃくちゃ不利になります。
母国語で思考をするのが当然であることから、たいていの人は英語を聞いて、日本語で考えて、英語を話すみたいなプロセスを踏むことになるんですが、その場合思考や表現の上限は母国語の能力に引っ張られます。
であれば、最終的なアウトプットの質をどうやって上げるか?は英語力を上げるの他に日本語力を上げるというものもあります。
英語学習をしなくていいとは微塵も思いませんが、日本語という超有能で他国では取得難度最難関の言語を難なく操る民族としては、もっと日本語教育をはじめまともな教育をした方が良いと思うんですよね…
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